もしも乃木坂46に入っていなかったら、一体どうなっていただろう? 女優として役を演じたり、雑誌の撮影でOLに扮したりすると、「もしあの時、オーディションを受けていなかったら?」という、架空の人生を想像したりしないだろうか。
「今となってみれば、歌うことを仕事にできてよかった、メンバーと出会えてよかった、大勢のファンの皆さんに喜んでいただけるような仕事に就けてよかったと、心から思えます。でも、私はもともと人見知りで、『人気者になりたい!』という夢もなかったですし、『みんなを引っ張っていこう!』というリーダーシップもなかった。
例えば12歳のころの私が、タイムマシンに乗って今の私を見たら、かなりビックリするでしょうね。でも、じゃあ他にどういう人生を歩んでいたのか。それも全く想像がつかない(笑)」
小学校の卒業文集の「将来の夢」の欄には「花屋さん」と書いていた。でも、中学で楽器に触れ、好きな音楽に少しでも長く触れていたくて、高校卒業後は、音楽の専門学校に進んだ。話は少し脱線するが、乃木坂46の楽曲「人間という楽器」にちなんで、まいやんに、「もしも自分を楽器に例えるなら?」と質問すると、意外な答えが返ってきた。
「めちゃめちゃ難しい質問ですね(笑)。あ、でも……個人的に好きなのは、打楽器。パーカッションです。マリンバとか、ティンパニーとかドラムとか、種類が豊富じゃないですか。オーケストラでも、後ろの方にいて、縁の下の力持ち的なポジションも好きです(笑)。中学でトランペットをやっていたんですが、主張が強すぎて、ちょっと私のキャラクターには合わなかったので」
そもそもが、前へ前へという性格ではない。でも、乃木坂では“初”がつく仕事が多く、「せっかくなら、こういう道もあるって後輩に繋げられたらいいな」と思い、自分のベストを尽くして、今がある。
『できるかできないかは、自分で決めることじゃない』
「グラビアを始めたのも、雑誌の専属モデルをやらせていただいたのも、たまたまグループで私が“初”でした。後輩ができてからは、先輩として、いい姿を見せられたらいいなという思いでやっていましたが、求められることに応えることは、常に自分を鍛えることにも繋がったし、いろんなお仕事を経験させていただく中で、できるかできないかは、自分で決めることじゃないんだなということにも気づいて。お仕事は、全てチームプレー。できないことがあれば、誰かが助けてくれる。わからないことは教えてくれる。自分のベストを尽くせば、喜んでくれる人は必ずいるはず。そのことがわかってから、いろんなお仕事を心から楽しめるようになったんです」
提供元:ヤフーニュース
参照URL:https://news.yahoo.co.jp/articles/5152320eaa04281606cd97dc35d41aa7d4e7a1d0
守ってくれるマネージャーが居る今の仕事でよかったと思います。
調子に乗らずプロとして何事も真剣に取り組む姿は素晴らしいですね。