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暴力教師・内申書・受験教育が一体化した日本学校という閉鎖村落社会!マインド・コントロール装置の全構造

「『愛情から手が出た』という大ウソ――民主主義を憎み、命令に従わぬ生徒を殴り蹴る“暴力教師”という名のクズ装置と、組織ぐるみでそれをかばう学校というゴミ構造」


**「統制を乱すとんでもないやつ」**というレッテル貼りと、
有無を言わさぬ暴力である。

張り倒す。
蹴り上げる。
殴る。

これは教育ではない。
暴挙である。


第1章|体罰ではない。「暴挙」であり「大罪」である

暴力を振るいながら、それを「体罰」と呼ぶこと自体が欺瞞だ。
許されない行為に対し、言葉を和らげることで罪を薄めようとする
卑劣な言語操作にすぎない。

教師という立場で暴力を振るうことは、
言い逃れようのない罪であり、それも大罪である。

ところが、ここで彼らは必ず
とんでもない言い逃れを用意する。


第2章|おなじみの大ウソ「愛情から、つい手が出た」

「生徒のためを思って」
「愛情があったから」
「つい手が出てしまった」

――このクサい常套句である。

体育会系出身だろうが、そうでなかろうが関係ない。
暴力教師は必ずこのセリフを吐く。
そして校長や教頭も、必ずそれをフォローする。

笑わせるな。

「愛情」という言葉を出せば、
すべてがチャラになると本気で思っているその神経が、
すでに図々しさの極致である。

普段、
「愛情」などという言葉を
一度たりとも口にしたことがない連中が、
いざ問題になると急に使い出す。

その態度自体が、
人を小バカにしている証拠だ。


第3章|そもそも、やつらに愛情など存在しない

断言する。
やつらに愛情などありはしない。

もし、彼らの顔に笑顔のようなものが浮かぶとすれば、
それは
自分の言うことにハイハイと従う子供たちを見下ろして得る、
自己満足のニタリ顔
でしかない。

そのニタリ顔が得られない瞬間、
彼らは「軽視された」「ナメられた」と感じる。

そして湧き上がるのは、
愛情とは正反対の感情だ。

「このヤローッ、アタマに来たァッ!」

この猛烈な怒りである。

暴力の動機は、
教育でも指導でもなく、
プライドを傷つけられたという逆ギレにすぎない。


第4章|ならば聞く。「自分の子供も殴るのか?」

ここで、極めて単純な問いを突きつければいい。

「愛情から暴力をふるった」と言い張るなら、
センセイは、自分の可愛い子供でもぶん殴るのか?

答えは明白だ。

ネコ可愛がりをする親バカがほとんどである。
仮に手を出すことがあっても、
せいぜい、卵を手にするようなソフトさで、
子供の頭をコツン……とやる程度だ。


第5章|なぜ生徒には殴れるのか。その答えは一つ

なぜ、その程度で済ませないのか。
なぜ、

○○○発もの花火が打ち上がるような往復ビンタを見舞い、
奥歯がボコボコと抜けるような鉄拳制裁を振るえるのか。

理由は一つしかない。

愛情を持っていない相手だからである。

わが子は可愛い。
愛情がある。
だから、相手の目の中に一瞬でも恐怖が宿ることを想像し、
ブレーキがかかる。

だが、生徒にはそれがない。

人として見ていない。
支配対象として見ている。

だから殴れる。
だから蹴れる。
だから張り倒せる。


第6章|問題化した瞬間に始まる、ヒキョーな言い逃れ

そして、この暴力が表面化し、
問題になるとどうするか。

決まっている。

「愛情から……」
「教育的配慮で……」

などと、
白々しい言い逃れを始める。

その一方で、
センセイ自身はどうするか。

絶対にマスコミの前には出てこない。

組織の後ろに隠れ、
校長や教頭に守られ、
顔も名前も出さずにやり過ごす。

ヒキョー者である。


結論|だから生徒は「やってられない」

ここまで見れば明らかだ。

これは一部の異常者の問題ではない。
暴力教師というクズを生み、
それを組織でかばう学校というゴミ構造の問題
である。

民主主義を憎み、
個性を敵視し、
命令に従わない存在を
力でねじ伏せる。

その果てに、
「愛情」という言葉で自分を正当化する。

これほど醜悪で、
これほど卑劣な構造があるだろうか。

だから生徒は思うのだ。

**「やってられない……」**と。

それは甘えでも逃げでもない。
極めて正常な反応である。


「辞めるのは生徒を殺した時だけ――暴力教師が居座り続ける“無責任体制”と、校長・教頭・教育委員会・文部省が結託する村落社会型ゴミ構造の正体」


センセイが責任をとって「辞める」ことなど、ほとんどない。
それこそ、生徒に瀕死の重傷を負わせるか、
殺してしまった場合ぐらいの極端なケースでしか起きない。

しかも、その場合ですら、
自発的に辞任するわけではない。

これまで知らんぷりをし、
事実上、暴力を容認してきた側である
学校・教育委員会・文部省に、
都合が悪くなった瞬間、裏切られる形で
**「辞めさせられる」**のが一般的な結末である。


第1章|生徒が死ななければ、暴力教師は居座れる

逆に言えば、
生徒によほどの重傷を負わせるか、
殺すかしないかぎり、
「暴力教師」はセンセイの座にとどまり続けられる
ということである。

これが現実だ。

多少殴った程度では、
多少蹴った程度では、
多少張り倒した程度では、
職を失うことなどない。

このデタラメ極まりない仕組みの中で、
暴力教師が責任を感じるはずがない。


第2章|責任感が生まれない理由は単純である

交通違反を見つかった運転手が、

「……違反しているやつはいっぱいいるのに、
よりによって俺が捕まるなんて、運が悪い……」

と愚痴るのと、まったく同じ心理である。

暴力教師は、
自分の行為を反省などしていない。

ただ
「運が悪かった」
「目立ってしまった」
と嘆くだけである。

だから減らない。
減る理由がない。


第3章|文部省が統制を重視する限り、量産され続ける

国文部省が「統制」を重視するかぎり、
暴力教師は、あとからあとから
学校へ配属されていく。

そして、
暴力をふるって問題になっても、
世間が要求するほどの責任は、
ほとんど負わなくてすむ。

この状況で、
減る方がおかしい。

むしろ、
制度が暴力教師を
量産・温存・再配置していると見るべきである。


第4章|これを「無責任体制」と呼ぶ

この構造には、名前がある。

**「無責任体制」**である。

関係者全員が、
記者会見や文書の中で

「責任を痛感しております」
「再発防止に努めます」

と合唱しておけば、
それで話が終わる。

結局、
誰ひとりとして責任を負わない。

これは、日本が世界に誇る
「みんなで丸まれば怖くない」式の、
ユニークにして狡猾なシステムである。

などとは、もちろん誰も思っていない。


第5章|当事者であるほど、怒りは深い

とくに、
最大の当事者であればあるほど、
そんな戯言で済ませられるはずがない。

もし本当に、
自分なりの信念にもとづいて
そうしたというのであれば、
堂々と出てきて語ればよい。

しかし、
暴力教師は出てこない。


第6章|記者会見に出るのは、いつも校長と教頭

マスコミの前に、
急いで作ったような
しょぼくれ顔を突き出すのは、
いつだって校長と教頭である。

なぜ、
肝心の当事者である
暴力教師は顔を出さないのか。

理由は明確だ。


第7章|表向きの理由と、本当の理由

一つには、
学校のシステムの問題である。

日本の会社がよくやるように、
学校もまた、

「一切の責任は上にある」

という名目のもと、
校長と教頭が
学校として謝罪する形式をとる。

これは、形式上は正しい。
長が、上層部が、
部下の不始末の責任をとるのは
当然の話だからである。


第8章|だが、ここで騙されてはいけない

しかし、
ここで騙されてはいけない。

この日本的形式は、
無責任体制を最も効果的に機能させる策略
でもある。

そこには、
「暴力教師が顔を出してはいけない」
などという決まりは、
一切存在しない。

暴力教師も、
直接の責任者として、
校長・教頭と一緒に
記者会見に出てよいし、
出るべきなのである。


第9章|それでも出てこない理由

にもかかわらず、
暴力教師が出てこないのには、
れっきとした理由がある。

まず、
本人が出るのを嫌がる。

普段は偉そうなことばかり言っているくせに、
いざとなると、
満座の前で追及され、
恥をかかされるのが怖くなり、
逃げ出してしまう。

臆病で、
卑怯で、
責任感のかけらもない。


第10章|学校側が、意図的に出させない

もう一つは、
学校側が、
わざと出させないという事実である。

仮に、
そのバカが調子に乗って
「出ます!」
などと言い出しても、
断固として出させない。

なぜか。

余計なことを言われると困るからである。


第11章|本音を吐かれるのが、何より怖い

どんな本音が飛び出すか分からない。
どんな無責任発言をするか分からない。

それが怖くて、
校長も教頭も
戦々恐々としている。

だから出させない。
出たいと言っても、出させない。

問題を大きくさせないため、
こじらせないため、
それが最良の策だと、
彼らはよく知り抜いている。


第12章|学校は典型的な村落社会である

閉鎖的で、
互いに傷口をなめ合い、
生き延びる利益共同体。

これを
**「村落社会」**という。

センセイどもの占拠する学校は、
まさに
典型的な村落社会である。

だから、

一人の失態は全員の恥。
一人の不始末は全員の不始末。
一人の罪は全員の罪。

そうやって、
外部からの批判を遮断し、
内部の責任を溶かし合いながら、
今日も無責任体制は維持されていく。


結論|暴力教師が消えない理由は、完全に説明がつく

これは偶然ではない。
個人の資質の問題でもない。

制度が、構造が、
暴力教師を守り、
再生産している。

だから、
生徒が死なない限り、
何も変わらない。

それが、
この国の学校という
ゴミ装置の現実である。


「体罰大好き教師は『必要悪』として温存される――校長も教頭も知っていて黙認する学校という村落社会、無知で横柄なサル軍団が量産される理由」


はじめに|体罰教師は「発覚するまで存在しない」扱いされる

体罰大好き教師が学校内に存在していることなど、
校長も教頭も、外部から指摘されるまでもなく、とうの昔に知っている

知らなかったのではない。
知っていて黙認し、容認しているのである。

理由は単純だ。
そんなバカでも、同じ仲間だからである。

それだけではない。
正直に言えば、
そんなバカがいるからこそ、生徒に対する「睨み」を利かせることができる。

体罰教師は、
仲間にとっての「必要悪」であり、
生徒を押さえつけるための重石として、
極めて都合よく機能している。


第1章|体罰教師は「仲間の役に立つ存在」である

体罰教師は、
学校にとっての異物ではない。

むしろ、

  • 口答えする生徒を威圧できる

  • 管理を楽にできる

  • 教師側が「強く出ていい」という空気を作れる

という点で、
実用的で便利な装置として扱われている。

だから排除されない。
だから問題にならない限り、
何事もなかったかのように居座り続ける。


第2章|これは体罰教師に限った話ではない

この構造は、
「暴力教師」だけの問題ではない。

おなじみの
**「いじめ」**に対する対応も、
本質はまったく同じである。

連中の基本方針は、
ただ一つ。

外部の目から隠すこと。


第3章|見えなければ、存在しない。それが学校の論理

外部の目から隠れていれば、
問題になることはない。

見えないものは、
存在しないのと同じだからである。

連中は、
本気でそう考えている。

存在しない以上、
誰にも罪はない。

  • 担当の教師にも罪はない

  • 校長にも罪はない

  • 教頭にも罪はない

  • 学校にも罪はない

それでよし。
言うことなし。
万々歳。

およそ、
そんな感覚である。


第4章|処分されるのは、いつも生徒側である

では、何が起きるのか。

教師側は、
「丸く収まる」方向で処理される。

一方、生徒側はどうか。

  • 厳しい処罰

  • 言うことを聞かなければ保護者を脅す

  • 家庭を人質に取る

という、
汚い手口が平然と使われる。

こうして、

  • 生徒はいつでも損をする

  • 教師は一切責任を問われない

という、
理不尽極まりない光景が、
何一つ変わることなく繰り返されていく。


第5章|教師は「村落社会」の空を泳ぐ極楽トンボ

教師は、
責任を問われることもなく、
極楽トンボのように、村落社会の空を泳ぎ続ける。

外から見れば、
教師どもは、

「学校」という檻に隔離された、
無知なサル軍団

でしかない。


第6章|学校は完全に隔離された世界である

教師は、

  • 村落社会のぬるま湯に浸かり

  • 仕事は子供相手に偉そうにするだけ

  • それ以外の時間は、同じアホでグズな教師同士の付き合い

という生活を送っている。

当然、
世間知らずになる。


第7章|教師は「筋金入りの世間知らず」である

実際、
教師という種族は、
ずば抜けて世間知らずのバカであると言われてきた。

そして今や、
これは世間周知の事実でもあるらしい。

厄介なのは、
当の教師本人だけが、
そう見られていることに気づいていない

という点である。

これを、
筋金入りのバカと言わずして、
何と言うのか。


第8章|社会人としても、教師としてもレベルが低い

教師の問題は、

  • 社会人としてのレベルの低さ

  • 教師としての自覚のなさ

に集約される。

もともと、
アホとグズが大量に混じっている世界なのだから、
仕方がないといえば仕方がない。

だが、
「学校」という隔離施設の中では、
それが案外、目立たない。


第9章|檻の外に出た瞬間、正体が露呈する

問題は、
教師どもが集団で外に出たときである。

その瞬間、
教師は、

檻から放たれたトラではなく、
サルの軍団

と化す。

しかも、

  • 横柄

  • 下品

  • スケベ

という、
救いようのないサルである。


第10章|現場の証言はいくらでもある

信じられないなら、
飲み屋で隣り合わせに飲んでみればいい。

それが無理なら、
旅行先の旅館で、
主人に聞いてみればいい。

ほぼ示し合わせたように、
こう答えるはずである。

「一番ひどいのは、学校の先生だねぇ……」


第11章|横柄・無知・狭隘。教師は群を抜いている

横柄さ。
無知さ。
視野の狭さ。

この三点において、
教師は群を抜いている。

なぜか。

特権意識が抜けないからである。

いつでも、

  • 自分は頭を下げられる存在

  • 一目置かれて当然の存在

だと思い込んでいる。


第12章|丸暗記試験が生んだ空っぽの頭

そもそも、

  • 丸暗記のペーパーテスト

  • 記憶力偏重

  • 思考力不要

という選別をくぐり抜けただけの人間が、
教師になっている場合が多い。

だから、

  • ものを知らない

  • 驚くほど無知

  • 考え方が恐ろしく狭い

という状態になる。


第13章|それでも本人たちは一切気にしない

しかし、
教師本人たちは、
そんなことはどこ吹く風である。

別に逃げているわけではない。
気にしなくても済む環境が、完全に保証されているからだ。


第14章|教師は、ほぼクビにならない

恐ろしいことに、

教師は、

  • 公然猥褻

  • 殺人

といった
明確な犯罪でも犯さない限り、
クビになることはほとんどない。

だから、

  • 知的蓄積に努力する必要もない

  • 社会人として成熟する必要もない

  • 視野を広げる修練も不要

となる。


第15章|マニュアルを回すだけで教師は成立する

必要なのは、
ただ一つ。

毎年、同じことを、
マニュアルどおりに教えること。

それだけで、
教師として通用してしまう。

これが、
体罰教師が減らない理由であり、
学校という村落社会が腐り続ける根本原因である。


結論|学校は無知と暴力を温存する装置である

体罰教師は、
異常ではない。

学校という装置にとって、
極めて正常な産物
である。

だから今日も、

  • 体罰は黙認され

  • いじめは隠蔽され

  • 生徒だけが損をし

  • 教師だけが守られる

という光景が、
何一つ変わることなく続いていく。

これが、
学校という名の
村落社会の現実である。

「学校という閉鎖社会がすべての元凶――“聖域”をはき違えた教師どもと、権威への服従を子供に刷り込む日本義務教育という犯罪装置」


はじめに|元凶は、教師個人ではない

それもこれも、元凶は
「学校」という、世間から隔離された閉鎖社会にある。

問題は、
この閉鎖的隔離施設を、
アホでグズなセンセイどもが、
**社会も世間も認める“聖域”**だと
本気で思い込んでいる点にある。


第1章|学校は「聖域」である。ただし教師のためではない

たしかに、
学校は“聖域”である。

そうでなければ、
「学校」という制度は
存立の原点を失う。

だが、
それは断じて
センセイが好き勝手を許される聖域ではない。

学校が聖域である理由は、ただ一つ。

子供たちの聖域だからである。


第2章|学校とは、子供の権利を守るための空間である

学校とは、

  • 子供たちが

  • 「教育を受ける権利」を行使し

  • どこの誰にも邪魔されず

  • 妨害もされず

  • のびのびと教育を受けられる

そのための聖域である。

横柄で、
下品で、
スケベなサル軍団の
独占物では断じてない。


第3章|教師は「自分たちだけの聖域」だと勘違いしている

ところが、
センセイどもは、

  • 学校は自分たちの聖域

  • 社会にも世間にも認められた特別区域

だと、
完全に勘違いしている。

しかも、
そこが閉鎖的隔離施設であるにもかかわらず、
外の世界からも尊敬されていると思い込んでいる。

この勘違いが、
異常な特権意識を生む。


第4章|外に出た瞬間、世間知らずが露呈する

だから、
いったん外の世界に出ると、

  • トンチンカンな発言

  • 世間知らず丸出しの態度

  • 空気の読めない横柄さ

ばかりをさらすことになる。

この状態を、
わかりやすく言えば
**「浮いている」**という。


第5章|教師は完全に「浮いている」

センセイどもは、
完全に浮いている。

それは、

  • 井の中の蛙が

  • 狭い井戸の中で

  • 一人エラそうにしている

その姿と、
何一つ変わらない。


第6章|誰も教師を尊敬などしていない

はっきりさせておく。

誰も、
センセイを偉いとは思っていない。

まともなセンセイには申し訳ないが、

  • 物知りだとも思われていない

  • インテリだとも思われていない

  • 人格者だなどとは、なおさら思われていない

マスコミで非難されているとおり、
ただの世間知らずだと
見られているだけである。


第7章|世間の本音は、とっくに一致している

世間で、
社会で、
日々揉まれて生きている大人は、
皆、同じことを思っている。

  • 子供相手にエラそうにしているだけのバカ

  • 横柄で下品でスケベなバカ

子供をもつ親も、
同じように思っている。


第8章|親が黙っている理由は一つ

ただし、
子供を学校に人質に取られている親は、
口に出して言えない。

言えば、
子供が標的にされる。

いじめられる。
目の敵にされる。

だから黙るしかない。


第9章|最大の被害者は、常に子供である

その結果、
一番かわいそうなのは誰か。

子供である。

否応なしに人質にされている子供が、
最大の被害者なのだ。


第10章|それでも「学校に行け」と命じる残酷さ

それでも、

  • 担任がどれほどバカでも

  • 明らかに理不尽でも

子供に
「学校に行け」
と言わなければならない。

これは、
残酷かつ非情な命令である。


第11章|「先生の言うことは正しい」時代は終わった

センセイが言うことだから正しい。
子供は従わなければならない。

そんな時代は、
とうの昔に終わっている。

いまは、

  • 子供がバカにならないように

  • 親(保護者)がどう配慮するか

その時代なのである。


第12章|子供は、本来、未来そのものである

なぜなら、
子供は本来、
輝かしい未来をもっている存在だからだ。

それを潰す権利など、
どのセンセイにもない。


第13章|「秩序」と言い出したら要警戒

センセイが
「秩序」
と言い出したら、

ヤバい。

そう警戒したほうが身のためである。


第14章|教育に本気な教師など、ほとんどいない

もともと、

  • 教育に真剣に取り組もう

  • 子供の将来のために身を捧げよう

などという気は、
さらさらない連中である。

自覚のない、
おそろしく空っぽな教師集団なのだ。


第15章|教室で行われている愚劣な行為

だから、

神聖であるはずの
**「教室」**でやっていることも、

  • 愚劣

  • 低次元

  • 石を投げたくなるほどくだらない

そんな行為ばかりになる。


第16章|勉強だけなら、まだ許せる

ただ、

  • マニュアルどおりに勉強を教える

  • 偏差値偏重の受験教育

これだけなら、
まだ許せる。


第17章|許されないのは「権威への服従の強制」

許されないのは、
しなくてもいいこと
いや、
してはならないことを、
喜々として行う点である。

それが、

権威への服従の強制だ。


第18章|これは巧妙な「ソフト作戦」である

授業の一コマだけではない。

学校で拘束している
すべての時間に、
何事もない顔をして、
そっと、
まんべんなく広げてくる。

極めて巧妙な
ソフト作戦である。


第19章|武器は「秩序」「規律」「和」

その際に使われる武器が、

  • 秩序

  • 規律

といった言葉である。

これは、
日本的解決法と称される、
伝統的な弾圧の道具である。


第20章|それを教師が、喜々としてやる

それを、

  • 文部省

の手先である
センセイどもが、
喜々として実行する。

しかも、
ほとんど誰一人として、
それをおかしいとも、
異常とも思っていない。


第21章|まともな教師は排除される

それを大罪だと感じる
まともな教師がいれば、
どうなるか。

  • どこかに飛ばされる

  • 辞める

そのどちらかである。


第22章|教師自身が洗脳されて育ってきた

なぜなら、

教師自身が、
子供のころから、

  • 学校では服従するもの

  • 先生に逆らうな

と教え込まれ、
巧妙なマインド・コントロールによって
脳の隅々まで刷り込まれてきた世代だからだ。


第23章|これが日本の義務教育の歴史である

それが、
日本の「義務教育」の歴史である。

大人になってから、
その犯罪性に気づき、
怒りを覚える人もいる。

だが、
そういう人間は
教師にはならない。


第24章|「それでいい」と信じる者が教師になる

逆に、

  • それでいい

  • 文句あるか

と、
頭から信じ込んでいる連中が、
教師になる。

むしろ、

そういう権威に憧れる連中
教師になっている。


結論|だから、喜々として実行できる

だからこそ、
教師どもは、

  • 権威への服従を

  • 何の疑問もなく

  • 喜々として

子供たちに押し付けることができる。

これが、
学校という閉鎖社会が生み出した
最も醜悪な現実である。

「『権威バカ』が教師になる国――服従を説き、反抗を憎み、子供の人格を評定する日本型権威主義教育の狂気」


はじめに|名前を与えれば、正体は明確になる

こういう手合いを、
**「権威主義者」**という。

陰口では、
より正確に
**「権威バカ」**と呼ばれている。


第1章|権威を崇め、長いものに巻かれて光栄だと思う連中

権威バカとは何者か。

  • 「権威」を何よりも崇め奉り

  • 長いものには巻かれろ、ではなく

  • **「巻かれて光栄」**だと本気で考えている

そういう連中である。

自分では何も判断せず、
上から降ってきたものを
無条件でありがたがる。


第2章|そんな連中が、子供に服従を説く滑稽さ

その権威バカが、
子供たちに向かって、

  • 権威を小出しにし

  • 服従を説く

これほどバカげた話はない。

譬えるなら、

キツネが子ヒツジの前で
「オオカミの言うことを聞け」
と言っている

ようなものだ。

当の子ヒツジはもちろん、
親ヒツジとしても、
たまったものではない。


第3章|センセイは「権威バカ」であり単細胞である

はっきり言う。

センセイは、
権威バカである。

しかも、

  • 子供相手に

  • すぐムカッとくる

  • 単細胞の持ち主

こういう人種だ。


第4章|好きな子と嫌いな子が必ず生まれる理由

こういう権威バカが
センセイになっている以上、
クラスに、

  • センセイに好かれる子

  • センセイに嫌われる子

が生まれるのは当然である。


第5章|反抗=メンツ崩壊という異常な思考回路

成績が良かろうが悪かろうが、
関係ない。

ただ
「反抗的である」
という一点だけで、
センセイは、

  • メンツを潰された

  • 人格を否定された

と感じてしまう。

バカな話だと思うなかれ。
センセイとは、
そういう人種なのだ。


第6章|「先生は偉い」と本気で信じている連中

センセイどもは、

  • センセイは偉い

  • センセイの言うことは正しい

と、
心の底から信じ込んでいる。

だから、
子供が逆らっただけで、

公衆の面前で
パンツを脱がされたかのような
屈辱

を味わう。


第7章|憎悪は瞬時に燃え上がる

その瞬間、

  • 激怒

  • 激昂

  • 憎悪の炎

が、
メラメラと燃え上がる。

反抗が、

  • 強烈に自分の意見を主張する

  • センセイの意見(命令)を
    無視・黙殺する

という要素を含んでいれば、
憎悪はさらにヒートアップする。


第8章|論理的に正しい意見は「致命傷」になる

さらに致命的なのは、

  • 生徒の意見が

  • センセイの矛盾を鋭く突き

  • 誰が聞いても筋が通っている

こういう場合である。

この瞬間、
センセイは完全にメンツを失う。


第9章|精神的には完全裸形になるセンセイ

パンツどころではない。

  • 靴下

  • 何もかも

剥ぎ取られ、
スッポンポンにされた感覚
痛烈に味わう。

憎悪は、
ヒートアップなどという
生易しい段階を遥かに超え、

硫黄がプクプク沸き立つ
地獄沼

の様相を呈する。


第10章|戦場なら味方に撃たれる

戦場だったら、
その子が生きて帰れる保証はない。

敵ではない。
味方であるはずの
連隊長自身に、

背中から
ドーンッと一発
撃ち込まれる。

それと同じ構造である。


第11章|問題は「授業」ではない

これは、
授業の話ではない。

**センセイの「指導」**の話である。


第12章|校則をめぐる「地雷原」

たとえば、
校則についての話。

  • 質問する → まだいい

  • 軽い疑問を挟む → まあ許される

しかし、

  • 反抗する → 絶対に許されない


第13章|意見は「賛成」だけが歓迎される

ハーイと手を挙げて、

  • 感想を言う → 可

  • 賛成意見 → 大歓迎

だが、

  • 強烈に自分の意見を主張

  • センセイをやり込める内容

これは、
表面上は聞かれていても、
腹の中では完全拒絶される。


第14章|貼られるレッテルの一覧

そういう子供は、

  • 著しく反抗的

  • 非協調的

  • 独善的

  • 自信過剰気味

  • 異端的

要するに、

「危険な存在」

と分類される。


第15章|欧米では当たり前、日本では排除対象

欧米では当たり前の、

「自分の意見を持ち、
それを堂々と主張できる子」

が、日本では、

アホでグズな
権威バカ教師によって、
巧妙にノケモノにされ、
嫌われていく。


第16章|マトモな人間がバカになる教育

こういう教育を、
「マトモな人間がバカになる教育」
という。

センセイは、

  • 自分の意見を持つ子

  • 主張できる子

を、
徐々に、
丹念に、

「自分の意見など何もない
体制順応的なバカ」

に仕立て上げていく。


第17章|従わなければ、切り捨てる

それでも従わなければ、

  • 先祖代々百年の仇のように憎み

  • 野菜クズのように
    バッサリ切り捨てる

それが、
権威バカ教師のやり方である。


第18章|「しかたがない」で済ませてはいけない

それでもいい。
しかたがない。

そんなことは、
口が裂けても言ってはいけない。

  • 好き嫌いは誰にでもある

  • センセイだって人の子

  • 完全じゃない

などという同情は、
害毒でしかない。


第19章|舞台が「学校」であることの重大性

舞台が
**「学校」**である以上、
そんな呑気な話では済まされない。

なぜなら、
このバカどもが、

子供の「人物評定」
という、
天に唾する行為を
平然と行うからだ。


結論|権威バカに人格を評価させる狂気

  • 権威に弱く

  • 論理に弱く

  • 自尊心だけは異常に強い

そんな権威バカが、
子供の人格を評価する。

これほど
狂った構造が、
他にあるだろうか。

これが、
日本の学校で
日常的に行われている
現実である。

「バカな教師に内申書を書かせる狂気――ワンマン経営者に勤務評定を任せる国、日本の人格評定という名の有害装置」


はじめに|納得できないことは、世の中に確かに存在する

世の中には、
どこからどう考えても、
さっぱり納得のいかないこと
というものが存在する。

バカなセンセイどもによる
生徒の人格(人物)評定も、
まさにその一つである。

「通知表」であれ
「内申書」であれ、
本質はまったく同じだ。


第1章|人格評定そのものが悪いのではない

誤解してはならない。

人格(人物)評定が
存在すること自体
否定しているわけではない。

むしろ、
家柄や親の職業、
社会的地位によって
子供を差別するよりは、
まだフェアだと評価できる側面もある。

問題は、
誰が、それをやっているのか
という一点に尽きる。


第2章|人格評定には、重大な条件がある

人格評定には、
きわめて重く、
逃げ場のない条件が付く。

それは、
評定する人間の資質である。

具体的には、

  • それにふさわしい見識

  • 高い知性

  • 幅広い教養

  • 冷静・客観的で公平な人を見る目

これらを
すべて備えていること
が前提条件となる。


第3章|ナミの人間に、人の評価はできない

重要なのは、ここである。

そういう人間でなければ、
他人の評価などしてはならない。

しょせん、
ナミの人間に、
そんな大それたことが
できるわけがない。

誰の胸にも、
同じ疑問が
浮かんでくるはずだ。

「できるわけがない」


第4章|教師の顔のどこに「人を見る目」があるのか

「学校」という隔離施設の中で、
特権的にぬくぬくと暮らし、
知的にも人間的にも
まったく成熟していない
権利バカの連中。

そのツラのどこに、
誰もが賞賛し尊敬するような
人を見る目
がくっついているというのか。

答えは明白である。

どこにもない。


第5章|体制順応的な「イイ子」しか見ていない

連中は、
国・文部省が
「体制順応的なイイ子」
だけを養成したがっている
という思惑にすら、
気づいていない。

それを、
勝手に自分の頭の中で、

「先生に逆らわない
素直なイイ子」

と解釈し、
せっせと評定のペンを
走らせているだけの話である。


第6章|ワンマン経営者の勤務評定と同じ構造

要するに、
これは何か。

ワンマン経営者が
社員の勤務評定をしている

のと、まったく同じ構造だ。

  • 気に入っている部下は高評価

  • 気に入らない部下は低評価

能力でも人格でもない。
好き嫌いが、
すべてを決める。


第7章|「私見ながら…」という卑怯な一文

そして、
センセイに好かれる子は
高評価になる。

一方、

  • あまり好かれていない子

  • 嫌われている子

はどうなるか。

「私見ながら……」
などという
もって回った言い回しを使いながら、
結局は、

「よくない子ですヨ」

と、
誰の目にも分かるように
悪く書かれてしまう。


第8章|評価される価値など、もともとない

そんな連中から
高い評価を受けたところで、
何の自慢にもならない。

むしろ、
恥でさえある。

だが、
そんなデタラメな評定が、
現実には
あちこちで力を持ってしまう。

ここが、
最悪のポイントである。


第9章|内申書は、進路に直結する凶器になる

とくに、
高校受験時の
内申書となると、
話は一気に重くなる。

進路に、
直接的な影響を及ぼすからだ。

その結果、
どうなるか。


第10章|生徒が「おとなしくなる」理由

生徒は、
仕方なく、
在学中は
おとなしくしているように
努める。

だが、
それは決して、
センセイに服従した結果ではない。


第11章|恐れているのは、教師ではない

恐れているのは、
センセイの背後に
黒く巨大にそびえ立つ
国・文部省である。

つまり、
そこでもセンセイは、
国・文部省という
絶対的権威の
ただの使い走り
でしかない。


第12章|その事実を知っているのは誰か

生徒は、
そのことを知っている。

賢い子ほど、
よく知り抜いている。

賢い親も、
十分にわきまえている。


第13章|知らないのは、教師だけ

知らないのは、
センセイだけである。

自分が
虎の威を借る狐
であることにも気づかず、
得意になって
権威を振りかざす。


第14章|内申書という「伝家の宝刀」

そして、
それが思いどおりに
機能しないと見るや、

やおら、
内申書という
伝家の宝刀を
抜き放つ。

「言うことを聞かないと、
悪く書くぞ……」

これが、
教師どもの脅し文句である。


第15章|これのどこが「権威」なのか

こんなものの、
どこが権威だというのか。

また、
こんなものが、
一体、何の役に立つというのか。


第16章|役に立つのは、国・文部省だけ

答えは単純だ。

国・文部省の役に立つだけ
である。

肝心要の
子供たちにとっては、
何の役にも立たない。

それどころか、

  • 本来の個性を押し殺し

  • 苦い思いで我慢させ

  • 偽者の自分を演出させる

という、
有害な代物
でさえある。


第17章|だから「断固やめるべき」なのである

である以上、
これはもう、
断固としてやめるべき
なのである。

親も、
子供も、
声を大にして
やめさせるべきものだ。


第18章|やめなければ起きることは一つだけ

これをやめさせないかぎり、
何が起きるか。

センセイどもは、
ますます増長し、
ますます
権威バカになる。


第19章|マトモな子が、次々とバカにされる

そして、

  • マトモな子が

  • 次々と

  • バカな子に
    変身させられていく

それだけのことである。


結論|教師は、権威に弱い人種である

すべての根は、
ここに行き着く。

センセイは、
権威に弱い人種である。

その弱さが、

  • 内申書

  • 人格評定

  • 権威の濫用

という形で、
子供たちを
直接、傷つけている。

これが、
日本の学校で
日常的に起きている
紛れもない現実である。

「ラクで安定した職業として教師を選んだ『権威バカ』たち――秩序・協調・和で子供を骨抜きにする国製マインド・コントロールと、受験教育という名の知的ゴミ処理」


はじめに|なぜ、こんな連中が教師になっているのか

そういう連中が、センセイになっているからである。
正直に言って、これははた迷惑である。

もっとも、考えてみれば、
しかたがないことでもある。

そのぶん、
世間からバカにされてもいるのだから、
いわゆる自業自得といってよい。

それならそれで、
放っておけばいい。


第1章|本当の問題は「放っておけない」点にある

問題は別のところにある。

そうしてセンセイになった
**「権威バカ」**どもが、

  • 「秩序」

  • 「協調」

  • 「和」

といった、
国・文部省製のスリ替え用大義名分を振りかざし、
九年、あるいは十二年という長期間にわたって、
子供たちを
**「権威に弱い体質」**へと改造し続けてきた
という現実である。

しかも、この企みは、
まんまと成功してきてしまった。


第2章|骨抜きにされた大人たちが量産されている

現実を見れば一目瞭然である。

そうして育て上げられた、
なれの果ての姿――
骨抜きにされた刺身蒟蒻のような大人が、
世の中にはゴマンと存在する。

それは、

  • 国・文部省の計算どおりの
    サラリーマン(OL)

だけに限らない。

本来、
そんな人間ばかりであってはならない
業界にまで
うじゃうじゃと群れをなしている。


第3章|マインド・コントロールは、完全に成功した

ここまで来ると、
一体どれほど
マインド・コントロールが
徹底していたか、
もはや説明は不要だろう。

結果は、
社会全体に
はっきりと刻み込まれている。


第4章|責任は「学校」と「教師」にある

こういうバカになってしまった責任は、
一にかかって
**「学校」と「先生」**にある。

だが、それだけでは終わらない。

国・文部省の思惑どおりに動く
バカなセンセイどもが仕掛けた、

「サラリーマンになって出世しよう!」

という、
巨大なモノレールの軌道上に、
あろうことか
ジャーナリストでさえ
きっちり取り込まれてしまっている。


第5章|「受験教育」は教育ではない

ここで、
はっきりさせておく必要がある。

**「受験教育」**など、
アホでもグズでもできる。

これは、
教育などとは到底呼べない代物である。

それを、
国・文部省の命令に忠実な
センセイどもが、
悪名高き「受験競争」を
せっせと推進してきた。

こうなるのも、
当然といえば当然だ。


第6章|人はラクをしたがる生き物である

人は誰だって、
ラクをしたい。

  • ラクをして

  • 毎月きちんと給料がもらえ

  • 年に二回、
    ボーナスまで支給される

それなら、
文句を言うほうがどうかしている。


第7章|最初から「ラクで安定」を求めて教師になる

最初から、

「ラクで安定している職業」

として、
教職を選んでいる連中にとって、
それ以外の現実は、
契約違反にすら映るだろう。

だからこそ、
教師という職業は、
ラクなのだ。

誰もが思っているとおり、
本当にラクなのである。


第8章|指導要項という最強の免罪符

なぜラクなのか。

理由は単純だ。

  • 「指導要項」というマニュアルがある

  • 教科の本質を理解する必要はない

  • 深い教養も不要

  • 鋭い洞察力など論外

必要なのは、
詰め込み式
子供たちに与えることだけである。


第9章|教育は「製造業」へと堕落した

これはもう、
教育ではない。

今川焼
鯛焼を作るのと、
何ら変わらない。

  • 毎年

  • 判で捺したように

  • 同じ手順で

  • 同じ中身を

子供たちに
餡を詰め込む作業でしかない。


第10章|受験教育は、その極北である

なかでも、
「受験教育」は
その最たるものである。

「受験」
という殺し文句ひとつで、
センセイの口から漏れる一言は、
たちまち
金言と化す。


第11章|子供は思考を止めて呑み込むだけ

子供たちは、

  • 考えない

  • 疑わない

  • ただ必死に

それを呑み込むだけである。

理解など、
求められていない。


第12章|知識を砕くほど簡単な作業はない

そもそも、
知識を
角砂糖のように小さく固めて与える
ことほど、
簡単な作業はない。

  • 噛まなくていい

  • 考えなくていい

  • 反論も不要

ただ飲み込ませる。


第13章|考える力は、最初から排除されている

ここには、

  • 思考

  • 批判

  • 創造

が入り込む余地はない。

あるのは、
服従
順応だけである。


第14章|だから「権威バカ」が量産される

こうして、

  • 権威に弱く

  • 指示待ちで

  • 体制に従順

な人間が、
大量生産されていく。

そして、その成れの果てが、
また次の
権威バカ教師となる。


第15章|無限再生産される愚劣な循環

この循環は、

  • 学校

  • 教師

  • 受験教育

  • 企業社会

を貫いて、
無限に再生産されている。

止まる理由が、
どこにもない。


第16章|教師がラクなのは「教育をしていない」から

教師がラクなのは、
教育をしていないからだ。

  • 思考を鍛えない

  • 人格を育てない

  • 社会を教えない

ただ、
マニュアルを回しているだけである。


第17章|それでも給料は保証される

それでも、

  • 毎月給料は出る

  • 身分は安定している

  • 責任は曖昧

これほど
おいしい職業が、
他にあるだろうか。


第18章|被害者は、常に子供である

そのツケを払わされるのは、
いつも子供である。

  • 個性を削られ

  • 考える力を奪われ

  • 権威に弱い人間に
    作り替えられる


結論|これは教育ではなく、知的ゴミ処理である

ここまで来れば、
結論は一つしかない。

これは、
教育ではない。

国製マインド・コントロールによる
知的ゴミ処理システム
である。

そして、その現場で
手足として動いているのが、
ラクで安定を求めて教師になった
権威バカどもなのだ。

これが、
いまもなお続く
日本の学校教育の
紛れもない現実である。

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