お金と時間を貪る社会に通じない学校専用の優等生が学校ではウケがいい!

学校でよく言われる「良い子」「優等生」とは、結局のところ教師の言う事に黙って従い迷惑をかけない人間だと言えるでしょう。

でも、これはよく考えてみると凄くおかしいと言う事が分かるはずです。

自分の意思を持たず、ただ上の人間の命令に従うことが全てだと考えている人間なのですから。

学校での良い子とは、
学校の中でしか評価されない人間。
結局自分自身の自我というものを殆ど持たない傾向にあることは説明する必要は無いと思います。

こうしたタイプの人間が大勢集まってくれるならば、確かに教師は非常に楽なのです。

学校での授業は特に何の問題もなく進むでしょうし、大きな事件や問題を起こして教師たちを困惑させることもまず無いと言えるでしょう。

ようするに、他人に迷惑をかけない人間なのです。勿論、確かにそれは大切なことであるとは思いますが、迷惑をかけないというのは突き詰めるとどういうことかを考えて見ましょう。

・・・少なくとも、私の中では絶対に迷惑をかけない人間と言うのは「何もしない人間」だと考えています。

そうでしょう?何もしなければ何も起きないのですから。

教師に言われたことに忠実に従い、命令された事だけに従えば確かに迷惑はかからないかもしれません。

でも、こうした人間が学校の外に出たとき果たしてどうなるでしょうか。

実社会ではこうした命令された事だけに従っているだけの人間というのは、基本的に歓迎されないというのは大半の人ならば理解できると思います。

指示待ちで自ら率先して学ぼうとせず、上の人間からの評価ばかりを気にしているというタイプの人は、どう考えても高い評価にはならないと考えるでしょう。

ただの機械の部品のような存在でしかないわけですから、それほど歓迎されない職場の方が多いのは明白です。

もう一つ懸念すべきなのは、こうした子供たちというのは問題のある教師の命令や明らかに不当な学校の命令にもそのまま従うだけだということです。

夏場の異常な暑さの中で体育を受けている中で死亡する学生も存在するのですから、普通の感覚ならば適切な場所で体育をした方が安全だということが分かるはずなのです。

授業にせよ、なぜ多人数で全く同じ授業を受けなければならないのかということ自体が本来ならばおかしいと感じるはずです。物足りない人もついて行けない人も出てきてしまうのですから。

このように、優等生と呼ばれる子供というのは結局のところ管理する側の教師や学校の運営において単純にとても都合がいい存在でしかないということが簡単に分かるでしょう。

疑問を感じず、自分の意見を主張せず、命令に従うことが絶対だと考える人間は、本当の意味で健全な「良い子」なのでしょうか。

学校というのが安全で、本当に価値が有ると思えるような環境であるならば大抵の児童生徒は宗教である学校に通いたいと思うかもしれません。

しかし、こんな学校がこんな状況で問題ばかりであるならば誰も学校に行きたいとは全く思いません。

それが自然であり、賢い選択だからです。

「みんなが同じ事をしているから」
「学校に行かなければならないから」
「学校に行くのが普通」

・・・こうした考えの人は日本では圧倒的多数だと思いますが、今一度よく考えて本当に学校という場所に子供を通わせることが人生の中で有益なことなのかを検討するべきです。年間20万件以上起きている。学校はゴールではない

学校が持つ役割というのは、将来本当にやりたいことを実現する為に必要な資格や知識・技術を得るために通っている学生たちに、そうした機会を与えることだと私は思います。

だからこそ、何の目的も将来の夢も何も無い人が

「とりあえずいい学校を卒業しておけばいい」
「よく分からないけど周りと同じことをしていれば安心だ」

・・・という理由で来たところで、当人にも学校側にも真の利益にはならないと考えます。

何よりも、海外ならばいざ知らず現状では日本の学校というのは公立などでさえも高額なお金がかかるのが殆どなのです。

そして、それに加えて数年間という時間も費やさなければならなくなるでしょう。何も考えずに学校に入る事でお金と時間という2つの貴重な資産が失われるかも知れないのですよ?

あくまでも目的地に到達するために必要だから学校で学ぶというのが本当の意味で大切なことで、学校は通過点なのではないでしょうか。

それが社会経験皆無の教師たちがいきなり上に立ち、子供たちを教え導くという立場に立っているからこそ

「良い学校に入りなさい」
「少しでもいい点をとりなさい」
「競争に勝ちなさい」
「正社員や公務員になりなさい」

・・・というようなことしか言えない教師で溢れているのではないかと思います。