学校とブラック企業。ブラック企業社員生産所と化した学校、その利用方法とは!?

学校は刑務所

法律よりも感情が優先の教員達

不思議な事に、この国では教師が体罰をした場合でも逮捕される事はほとんどありません。それは学校外の一般社会で行えば明らかに暴行傷害の犯罪行為であるにも関わらずです。
なぜ、そのようなおかしな事がまかり通るのかを考えた場合、学校とは、産業界にとって都合のよい人材を作るための手段であるためではないでしょうか。
つまり、一般の公的な小中学校、高校とは、現在のブラック企業での兵隊を作るための手段に他ならないのではないか、と考えてしまうのです。
事実、優秀な進学校などに行けば、校則はあってないようなもの、と言われます。それはすなわち、放っておいても学力の高い生徒は勝手に勉強を行い、勝手に良い学校に行くので、普段の生活指導などを放っておいても学校の名誉が維持されるため、そのような自由な風潮が存在するのでしょう。
もっとも、私もあまり褒められた学校の出身ではないような気がしますが、それなりに努力をした結果、上の学校に進学し、現在の職を得ています。
ただ、私の通った多くの公立校もそうですが、学校では生徒をがんじがらめにする、それ自体が教員達の目的化してしまっているのではないか、と考えます。
そもそも校則とは、ただ単に学校内で決められた事にすぎません。
しかも、不思議な事に、その校則とは、基本的人権や現在の法律をも超越してしまう効果を持っている、謎に満ち満ちた存在となっています。
分かりやすい所で言えばバイクの三ない運動があります。確かに高校生がバイクに乗る事は、それが本来の学業から離れる事があるかも知れません。
しかし、バイクの免許を16歳になり取得することは、それ当然な国民の権利です。それを平気で禁止しようとする教員は、もはやその時点で、思考停止と言われてもやむを得ないのではないでしょうか。

 

教育に将来性など無い

正直なところ、現在の教育制度者はもはや限界に来ているのではないかと私は疑わざるを得ません。その教育制度の結果として、年代のブラック企業のはびこる社会、そして、少子高齢化事につながっているのだと考えます。
もちろん、少子高齢化につながった直接的な原因とはそれは2000年代初頭における派遣労働の解禁により、失われた世代を政治の失敗として生み出した事に他になりません。

しかし、その制度を嬉々として受け入れまた、それに対し声を上げてこなかった、すなわち、従順なる羊を作り続けた教育の成果とも、別の面では言えるでしょう。
今は少子高齢化が進行し働き手が不足していると言われます。しかし、働き手が不足しているのであれば、それは現代のブラック企業を存続させるような社会制度、もしくは行政不作為、または「上の者の顔色を伺う」「出る杭は打たれる」そんな社会制度全体に問題があるのではないでしょうか。

そんな問題ある社会制度を嬉々として支え続け、そこに送り込む兵隊を作り続けた、それが現在の教育制度と言えるでしょう。そして、今日も教員達は、何一つ今の教育制度に疑念を抱く事なく、校則という、わけのわからない存在を守らせるために日々、勤務しているのです。

学校の正しい「利用方法」とは

結局、学校などは、この世の理不尽さや、この世のどうしようもなさを知るための期間に過ぎません。
そんな所は、とっとと面従腹背をしてして過ぎ去り、早く世の中に出て、自分で好きなように生きる手段を得るべきです。
現在の多くの学校とは、ブラック企業を延命させ、そこでの兵隊を作るための期間にすぎないのですから。

スポンサーリンク

コメントをどうぞ

ページの先頭へ