学校教育は個性の芽を潰す!?

学校不要論

「義務教育で保護者は子どもを学校に通わせなければいけない」
でも、その通わなければいけない学校が人格を曲げる場所だったら…?
個性を潰す場所だとしたら…?
あなたは子どもを通わせたいと思うだろうか。
あなた自身通いたいと思うだろうか。
私は中学校教員を8年間やって、パニック障害、うつ状態になって休職、退職をしました。
そんな私が個人的に思うのは、学校は社会的な集団を学ぶ初期段階としてはいい場所だと思います。
初期段階というのは小学校低学年くらい、長くても小学校4年生くらい。(小学校教員をしたことがないのでわからないところもありますが)
小学校以前の幼稚園、保育所、こども園でも社会性を学べますが、義務教育ではないので、小学校で集団生活、行動を学ぶことは大事なことだとは思います。
しかし、それが中学校3年生まで続きます。
下手したら、高等学校でも集団に重きをおくところもあるかもしれません。
子ども時代の行き過ぎた、やりすぎな、長期間の集団生活は同時に個性をつぶす可能性も大いにあると私は思います。

「学校でも個性を大事に」は無理がある

戦後直後に生きていたわけではないですが、戦後の頃の日本で個性なくして、集団を大事にしろっていうのはまだ理解できます。
結果的に、集団教育で日本はその後経済成長を遂げていますから。
今の学校では集団教育をしている中で「個性は大事にしよう」という教育をしようとしています。
「人それぞれの個性を認め合える集団を作る」
その理想、目指す方向は理解できます。
しかし、「学校で個性を大事に」というのは結構厳しいのではないかと思います。
なぜなら、子どもの個性を大事にすればするほど、大人がやりにくくなるからです。
子どもは不公平に敏感です。
もちろん大人になって社会に出れば、世の中が不公平であることは当たり前だと気付けるのですが、学校ではなかなか不公平に物事を進めることはできません。
教員、学校が個人を大事にすればする

生徒は不公平を感じる

教員、学校が収拾がつかなくなる、集団指導しづらくなる

先生が学級経営、学校が学校運営としてやりづらくなる
となると、学校がいろいろ許す(個性を認める)と、自分たち(学校)が大変になります。
ただでさえ、今でもブラック労働なのに、これ以上多様化するのは無理だと思います。
個性をつぶすという言葉は少し言い過ぎかもしれませんが、学校が個人を認める範囲をこれ以上広げすぎるのは無理なことかなと思います。

学校教育は個性を潰す場所?

 

基本的に、学校教育は戦後の体制のまんまです。
戦後の教育とは、企業の使いやすい人間=イエスマンを育てること。
戦後の日本を立て直さなくちゃいけないですからね。
いちいち個人から「この仕事はなぜやるんですか?」とか言われるのって、めんどくさいし、困るんですよ。
だから、思考停止して右向けって言われたら素直に右向く人間、言う通りに働いてくれる人間を必要としていました。
しかし、今は戦後の日本とは違い、物も溢れ、物質的には豊かです。
便利な物もたくさん発明されました。
学校に行かなくても、家でYouTube見ながら勉強できます。
LINEで無料で電話もできます。
わからないことがあったら、検索サービスで調べられます。
時代は変わりました。
誰が見ても、戦後の日本とは違います。
…もう一度言います。
学校教育は戦後の体制のまんまです。
時代が変わっているのに、教育の根本が変わっていないのはまずいと思いませんか?
私は企業、国に都合のいい、使い捨ての人間になりたくないし、
子どもを指導する立場としても、ただ言われた通りに行動する素直な人間になってほしくないですね。
自分で考えられる人間になって、必要な時に声を上げられる、行動できる人間になってほしいと思います。
こんな考え方だから、学校で教員やることが合わないんだな(笑)
逆に何の疑問を持たずに、思考停止して学校の教員できている人はある意味すごいなって思います。
教員やってると、こうした感覚のある人は、絶対どこかで苦しい思いをするはず…

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